建設業は人々の暮らしの基盤をつくる「平和産業」。しかし建設産業は戦争に協力してきた痛苦の歴史があります。元建設政策研究所専務理事の辻村さんに、建設産業と戦争との関りを「ゼネコン社史」からひも解いてもらいます。
私がゼネコン社史から戦前の建設産業の歴史を調査するきっかけとなったのは、大手ゼネコンの経営者団体である日本建設業連合会(日建連)が2015年3月、「建設業の長期ビジョン」を発表したことにあります。
その中で日建連は、「建設業は国民が必要とする生活と産業の基盤となる施設を提供するとともに、適切な維持修繕・更新を担う産業であり国民にとって不可欠な産業である」と『国民産業』としての位置づけを行いました。
同時に日建連は「わが国の建設企業は、国民の負託に応えることはもとより、その卓越した技術を持って『平和産業』として世界の発展に貢献する」と表明しました。
私は日建連が将来ビジョンとして「平和産業として貢献する」と述べたことにその真意を測りかねました。
脳裏に浮かんだのは、戦前の建設産業の痛苦の経験をまず反省すべきではないか。そして、二度と戦争をしないと誓った日本国憲法の精神を経営理念に取り入れるべきではないか、ということでした。
建設産業は戦争とは対極なのでは
しかし、よく考えてみると、建設産業とはそもそも国民生活や産業の発展に欠かせない住宅や工場など社会資本を建設する産業であり、それらを破壊する戦争とは対極にある産業ではないか、という思いでした。
日建連の幹部は直接ゼネコン企業の経営から一線を画し、比較的冷静に建設産業の将来像を描くことができたのではないか、とも考えました。
日建連が『長期ビジョン』を発表した2015年は、安倍政権が集団的自衛権を容認し、日本が攻撃されなくても自衛隊が他国での戦闘行為に参加できる安保法制を強行した年です。
まさにその年に日建連が長期ビジョンにおいて、「建設産業は平和産業として世界の発展に貢献する」と打ち出したのです。
私はその真意を知りたいと思い、建設産業の戦前の歴史を大手ゼネコンの社史を手がかりに調査し、その教訓を戦後どう生かしているのか、知りたいという気になりました。