建設アスベスト訴訟原告団と組合は12月24日、被告企業であるニチアスの本社(東京都中央区)を包囲し、被害者への謝罪と、加害企業としての責任を果たすことを訴えました。
ニチアスの社屋はお昼時にもかかわらず、門を閉ざしたまま誰も出入りしない異様な光景となっていました。原告・被害者の声をシャットアウトしているニチアスに対し、神奈川の原告も怒りの訴えを行いました。
「企業による殺人 許すわけにいかない」1陣原告 高橋さん
今こうして酸素を持って車いすで来ています。最初酸素を使ったのは平成元年。その時はまだ2ℓくらい。いま1時間に4ℓ出してます。だから電車では来れません。車にボンベを何本も積んで来ます。24時間酸素がなくちゃ生きていけません。こうなったのはここに本社があるニチアスが原因。
これは天災じゃないんです。企業が起こした殺人ですよ。私はこの殺人を許すわけにはいきません。国はきちっと謝罪をしました。それなのになぜニチアス、建材企業は頑張っているのか。
亡くなった仲間を思うと涙が止まりません。「お前頼むよ」と言われました。亡くなる寸前まで私の手を離さなかった。原告に謝ってください。それが私の願いです。
「いのちと幸せ奪われた謝罪と償いを」遺族原告 桑原さん
主人は大工一筋で働いてきましたが、55歳の健診でアスベストによるがんが肺に見つかりました。余命一年の宣告を受けましたが伝えることができませんでした。
辛い治療に挑み続ける姿に医師も驚くほどでしたが、2年半の闘病生活で起き上がることもできなくなり、医師に「まだやることがあるんです死にたくないんです治してください」と懇願する姿を思い出すたびに胸が熱くなります。
なぜアスベストが有害だとわかった時点で製造販売停止にしなかったのですか。禁止していたら主人は元気に今でも働いていたと思うと悔しくて仕方ありません。利益優先した結果、建設労働者の多くのいのちを奪い、その家族の幸せも奪ったのです。
被告企業ニチアス。一日も早い謝罪と償いをお願いします。
最後の最後まで闘い抜く
最後に建設アスベスト訴訟全国連絡会の清水事務局長は「ニチアスは私たちの闘いは、長引かせれば収束に向かうと思っているのかもしれません。
しかし(東京の原告団代表で昨年11月に亡くなられた)宮島さんの娘さんは、お父さんの見られなかった建材メーカーの謝罪と賠償、補償基金制度の確立まで私が受け継いで闘うという意志を示してくれています。闘いは終わらないんです。そのことをニチアスは十二分に認識しなければなりません」と強く訴えました。
「ニチアスは13年前、最高裁で断罪されるなんて思ってなかったでしょう。国が給付金制度を作るなんてことも思ってなかったでしょう。でも我々はやり遂げたんです。私たちは最後の最後まで闘い抜きます」。