1955年2月8日130人が読売ホールに集い、前身となる『川崎大工労働組合』結成式を行いました。組合設立当初は組合員(安達正二さん)宅の事務所を間借りしていました。組織の発展を展望し、独自の事務所建設、職業訓練所の設立を視野に入れ、市に対する保有地の払い下げ申請や議会請願を行ないました。
65年第11回定期大会において「大工組合という枠では狭い。建設で働く全ての仲間を組合へ」と大同団結し、名称を現在の『川崎建築労働組合』としました。「大手の町場支配に対抗して町場建設職人の職域確保」をスローガンに協同組合を設立し、社会党、共産党議員の尽力の元に県有地の取得、72年3月に組合会館を建設しました。
62年、職業訓練所への県知事認可がされ(開校は61年10月)、認定訓練校として踏み出し、第1期生48人が夜間訓練をスタートさせました。79年から昼間の訓練に移行しましたが、1期生からの伝統である京都・奈良への古建築研修は今でも続いています。作詞・作曲を5期生で手掛けた「校歌」も生まれ、入校式、修了式では必ず歌われています。
訓練校OBは全建総連全国青年技能競技大会に数多く挑戦し、これまで銅賞に東海林弘一さん、原田登さん、福田康輔さん、入賞に佐野仁昭さん、類瀬学さん、木村幸勇さんが受賞しています。神奈川県技能コンクールでは2007年から11年にかけて5連覇をはたしました。
全県を引っぱる先進的活動
58年8月15日に結成された青年部初代部長の道家啓之さんは、ウイーンで行われた第7回世界青年学生平和大会に神奈川代表として参加。62年全国で初となる婦人部を結成し玄番春代さんが初代部長に就任しました。全国でも珍しい職人部(現在は職人支部)や築炉部も結成されました。
当組合出身から神奈川県連の会長に選ばれた元組合長の杉山茂二さん、田中善三さん、内藤勝義さん、書記長となったのは土志田公佳さん、塚原信介さん、他の役職に就いた方も大勢います。
県全体の運動に大きな貢献をしてきました。2015年1月11日に60周年式典を川崎日航ホテルで150人の参加で行いました。
困難を乗り越えてきた長い歴史を次世代へ引き継いでいきます。